はじめまして。特定非営利活動法人かおり福祉会代表理事の佐久間香里と申します。福島県の福島市・伊達市を拠点に、障がいを抱える女性の尊厳が守られる社会をつくることを理念に活動しています。まずは自己紹介をさせて頂きます。私は大学卒業後、縁あって福島県でアナウンサーとして2年半働いたのち、東京でフリーアナウンサーとして10年間活動していました。
その後福祉の仕事に転職し、2022年9月、障がいを抱える女性支援のNPOを立ち上げました。
「アナウンサーから福祉分野って畑違いでは?」
そう思われる方もいらっしゃるかもしれません。
地方局で経験を積ませてもらった後、フリーアナウンサーとして働きながら、休日は介護のアルバイトや障がい者スポーツ等ボランティアをひそやかに続けていました。NPOや福祉の勉強をもっとしたいと思い、大学院にも入学しました。
大学3年生の時、父が脳溢血で半身不随となりました。大変な状況でしたが、寝たきりの父が仕事復帰するまで努力し続ける様子は、私にとって尊敬できる、かっこいい父の姿でした。バラバラだった家族が一致団結するきっかけともなりました。障がいを持つことは、その人や家族の本質が見えるチャンスでもあると感じられました。この経験は、私の人生のターニングポイントであり、原点となっています。それからは、福祉は私にとってなくてはならない大切なものとなりました。
転職し障がい者福祉の現場で働く中で、男性スタッフへの相談を恥ずかしいと思う女性の利用者や、過去にハラスメントを受けて男性恐怖症になっている方に出会いました。障がい者としてひとくくりにされ、女性としての尊厳を傷つけられた経験のある方が多いことを知り、女性向けの施設の必要性を強く感じました。
また、女性障がい者の平均年収は男性障がい者の半分程度(100万弱)しかなく、育児や出産などを理由に採用を敬遠される等、働く上での困難も大変深刻な状況であることが分かりました。「障がいを抱える女性が安心できる環境で、やりがいを持って働けるよう支援したい!」そんな想いから、今回の事業所の開所を決めました。
地元埼玉県から福島県に移住した最初のきっかけは、たまたま就職試験で決まった場所だった、というだけの理由でした。
しかし福島の局アナを辞め東京に出てから「福島に戻りたい」という気持ちが日に日に強くなっていました。
そんな時、多くの人の人生を変えた東日本大震災が起こり、私にとっても第2の人生のターニングポイントとなりました。
「なぜ自分は生きているのか?」悩み、今行動を起こさないと一生後悔すると思いました。しかし、当時は寄付集めや泥かきボランティアに行ったり、風評被害に遭う福島県産品を購入する位のことしか出来ずにいました。
福島への思いを残したまま時は過ぎ、その後たまたま取材を頼まれ、福島に行くことになったのが4年前。そこで前の会社の先輩だった現夫に10年ぶりに再会、結婚することになったのです。夫は両親が障がいを抱えていたため、私の事業に深い理解がありました。まさに出会うべくして出会った人だと感じています。
福島には素晴らしい農産物が豊富で、それを作る農家の方々の底力、強さには圧倒されることが度々あり、人を惹きつけるパワーがあります。この魅力を伝えたいと思い”農福連携”をキーワードにした事業所の展開を決意しました。私自身も福島に来て野菜ソムリエや食の6次化プロデューサーの資格を取得したので、福島県の魅力を最大限伝えていきたいと考えています。